TAVLのモデルを考えるにあたり、クリエティブ、作る、表現する事について考えていました。
そんな事を考えている最中に「ほぼ日刊イトイ新聞 クリエイティブってなんだ?」という記事を見つけました。NHKで放送された糸井重里と3人の表現者井上陽水、見城徹、八谷和彦との対談番組に関する記事です。
約10年前の記事なので、時代背景にズレがあるけど(特にインターネットについての意見)、面白かったのでそこの文章を引用しながら、僕の考えを書いてみました。
http://www.1101.com/telecom/index.html
「素晴らしいソフトがなければ、
経済は動いていかないのではないか?」
いわゆる表現者を選んだというのは、
そのような問題意識からとも言える
藤:こういう問題意識、僕は持ってなかったけど、やっぱり経済があっての表現なのかな?経済が無くても僕は表現してそうな気がする。。。
表現というかクリエイティブと言うと、
作品だとか狭く限定されたものを扱う感じになるけど
そうではなくて、もうちょっと広く、
「人間が生きていくこと」だとか
「お金を稼いでいくこと」だとかいうことにも、もっと
クリエイティブがシフトしていかなければいけない
藤:表現、クリエイティブって言っちゃうと、なんだか特殊な事に聞こえるけど、もっと根っこを見ると、生きるって部分と繋がっているのかもしれない。
クリエイティブの語源は
「神が世界を創ったこと」だから、
その意味では、すでに本当の意味での
クリエイティブはもうなくて、
あとは改良ぐらいしか残されていない
藤:これも一理あるよなあ。本当の意味でクリエイトしているのか、本当に無から有を生み出しているのかって考えると、今まで見て聞いた物が脳味噌の中には詰まっている訳で、そういう事が作品に影響を与えているかどうかは、判らないよね。
同時に、神がこの世を作ったとしたら、神ほどすごいクリエイターはいないよなと思います。植物や動物の造形を見ると、よくそんなデザイン思いついたなっていうものだらけだし、そんなクリエイティブと比べると僕の表現はなんて稚拙なんだと。
様々な道を極めた人達が、みんな「自然へ還れ」みたいなメッセージを放つのも、そういう所が関係しているのかな。
「一人でものを生まない」
自分一人のものではないと考えて作ることに
私は一番共感をしているし、何かそこに
ヒントがあるような気がするんです。
もちろんそれは「みんな仲良く」というようなのとは
全然違うことだと思うんですけど。
藤:これは僕の課題でもあります。ピラミッド型のもの作りに馴染めなかった僕は、今まで一人で作ってきました。でも、一人で出来る事は限界があるし、長らく感じてきた僕の表現に対する壁も、複数の人間でものを作る事で乗り越えられるんじゃないかと思っています。
クリエイティブに絡めてひとつ思うことは、
日本が、めちゃくちゃだということで。
それでそこが何でめちゃくちゃなのかと言えば、
日本人はお金がある時には自信を持っているけれど、
お金がない時には自信がない、という感じがあるから。
そういう点ではアメリカも日本に似ていると思う。
・・・だけど、ヨーロッパとか他の国には、
そういう考えは、あまりないんじゃないかなあと、
僕はまあ海外育ちだったから、そう感じます。
そういう所では、みんな、
貧乏でもそこそこ暮らしていっているし、
お金があれば豪勢に使うというような感じで、
そういう金銭のことよりもむしろ、それぞれで
やりたいことをやるのが美徳になっていると思う。
そこで、今、日本人もきっと、
そういう風にやっていけばいいんだ、
やりたいことをやって何とかお金を稼いで、
まあ、あんまり稼げなければ貧乏なりに・・・で、
いっぱい稼げたらその分、おいしいものを買えば、
そういうことで、いいんじゃないのかなあ?
藤:僕もそういうことで、いいと思います。
誰かに見せたい、主張したい、使って欲しい、
試して欲しい、食べてもらいたい、喜んでもらいたい、
悲しんでもらいたい、泣いて欲しい・・・
そういうことがないと、たぶん、
クリエイティブはないんじゃないかと思います。
コミュニケーションがないと、ない。
そのものだけで、どういう風にクリエイティブなんだ、
という評価は、できないんじゃないかなあ?
藤:例えば一人で考えて、一人で作って、自分の部屋に飾っておく。それはクリエイティブとは言えないのかな。すごく寂しい人ってのは言えるけど 笑
仏教の修行をしている人が、木彫りを仏像を作るよね。それは誰のために彫っているわけでもなくて、自分の精神ために彫っているわけだ。それは表現ではないのかな。
そんな事を思いました。
作ることに関して一番面白いのは、
何かを一人だけで思いつくのではなくて、
『俺、これ欲しいよなあ』と思えるものを
みんな考えてゆくことだと思っていて・・・。
外国で進んでいるなと思える動きを見ると、
実は日本よりちょっと先に
『欲しい何か』を思いついた、気づいた、
ということのように見えるんですよね。
藤:まだ今の僕にはこの感覚が判らないです。TAVLではこの辺の感覚を育てていきたいと思っています。
『クリエイティブに生きたい』というように言ったり、
やりたいことをやりたいという気持ちのある人の中に、
気持ちのいい人と気持ちの悪い人がいるなあと感じて、
それは何だろう?と前からずっと思っていたんです。
それで、私がわかったことは・・・
『自分のことしか考えてない人の話は、気持ち悪い』。
その場合『自分のやりたいことをやるんだ』
というだけで、もう、何かが
終わってしまうような気がするし、
会っていても『・・・そうすれば?』みたいに感じる。
話を聞いていて気持ちのいい人は、
もっと違うことを考えているんです。
自分がクリエイティブに生きるなんてどうでもよくて、
そうじゃなくて、自分以外のことも考えている・・・
それは大きな違いだと思いました。
藤:耳が痛いです。TAVLを始める1年くらい前までは、僕もこの人が言う気持ち悪い人だったと思うんです。
自分の技術を磨くために作品を作っていたところがあって、何を作るかもすべて感覚でやっていたので。
作品を見た人の印象だとか、社会のシステムとか、全く興味がなく、
やりたいようにやって何が悪いって感じだったし 笑
あと、やりたいことについてはもう一つ、考えました。
やりたいことがある。
やりたいことがまだ見つからないから、それを探している。
そういう風に考えがちだけど、生きている事自体が幸せなんだと考えると、やりたいことがあるか、ないかなんて、まったく関係ないなと。
やりたい事がなくても、生きる事を楽しんでいれば、それでいいんじゃないかと。
やりたいことがあってやっている人では見えない事が、見えてくるんじゃないか。
(テレビは)力を持っちゃった既得権の巨体を維持するために
今の構造になっているんじゃない?
多くの人間が見るメディアだから、
言ってはいけないことも出てきてしまう。
だから、インターネットもこれから数が増えれば
言えないことが出る方に向かう危険があると思う。
多数のものが何かを決めるという発想が
「誰かに文句を言われることをしゃべれない」
という制約を生むんですよ。
クリエイティブというものは、
たぶん、その逆から生まれるものなんです。
「みんな、猫の絵が欲しい?・・・でも俺は犬っ」
そういうものが、クリエイティブだと思う。
ただ何かを選んでいるだけの大勢の人に
文句を言わせているのは、
だから、おそらくだめなのでしょう。
文句を大声で言われてしまうと、
祭りが終わっちゃうんです。
祭りの最中で喧嘩がはじまったら、嫌でしょう?
藤:反骨というか、そんな感覚は僕の中にもあって、流行に乗るのは昔から嫌いだったです。パンクミュージックをよく聞いていたし。
こういう感覚がカウンターの発想に繋がっていると思う。
お前は変なやつだと、よく言われました
自分で考えることは、すごく大切なことだけど、
戦後はアメリカの憲法を鵜呑みにすればよかったし、
そのあとも、日本人というのは、ある意味では、
誰か他の人の考えたようなものごとに
つき従っていればいいというような風潮でしたから、
あんまりものを考えないようになっていましたよね?
たとえば全共闘運動にしても、
『あんなのはだめだ』と反発しているだけでは、
自分のビジョンではないでしょ。
だけど、一番必要なのが、そのビジョンなわけで、
自分でものごとを考え出すというのが、
『クリエイティブ』ということになると僕は思います。
例えば『疑問を持つ』ということひとつにしても、
何にでも猜疑心を抱くとも言えるわけで、
まあ一見ネガティブにも取られがちですけど、
社会でみんなに言われていることが
本当に正しいのかどうかは、そのひとつひとつに
疑問を挟むことによってしか納得が得られないんです。
だから、いいディレクターやジャーナリストは
ほんとに嫌な奴、猜疑心の強い奴で、
『ほんとにそれはそうなのだろうか?』と
徹底的に考えて、自分なりの真実を見つけますよね。
それとやっぱり、見城さんのように
『ひんしゅく』を買うというか、
つまりほんとにそれまでの常識にとらわれないで
考えないといけないのなら、逆に言えば
まわりにひんしゅくを買うようなことぐらいでなければ
本当に新しいこととは言えないということになるから、
このふたつのキーワードは、とても面白いと思います。
藤:僕が今の日本に危機感を持つのは、まさにこの部分です。
自分で考えるって事を怠っているんじゃないか、と思う。
僕が言うのもなんなんですが。
僕は、恥ずかしながら、何かを考えたっていう記憶がないんです。
すごく幸せで恵まれた環境で育ったとも言えるんだけど、反抗期もなかったし、青年時代の青臭い悩みもなかった。周りが悩んでいるのが不思議でしょうがなかったです。
近くに内田先生という考える事のスペシャリストがいたおかげで、僕も考える事に30歳になって目覚めたわけです。
だから自分の年齢にもすごく違和感がある。16歳ぐらいが丁度いい。
30年間溜め込んだ反動なのか、今は考える事が楽しくて、こんなに長々と色々な事を書いているわけです。僕の相手をするみんなも大変だね 笑
まあ、とにかく、今の僕には、考えずに済んでしまうシステムが気持ち悪い。
答えをすぐに出す今のテレビが気持ち悪い。
考えないのをいいことに、消費者を操作しようとするメディアが気持ち悪い。
自分で考える事がクリエイティブだとしたら、今回の企画は作品に触れた人にクリエイティブを求めていると言えるのかな。
クリエイティブというのは、
テロリズムなのではないかと思うところがあります。
土台を積み上げていってできたものが、
実はぽんと叩いただけで倒れてしまう、その足場の
あやうさを撃つ、或いは警告することでしょう?
(中略)
民主主義とかいうシステムだって、歴史的に見れば、
とてもネガティブなところからできているでしょう?
ジャン・ジャック・ルソーなんて、とんでもない男で、
自分では子供を3回くらい捨ててるんだから(笑)。
自分は子供を育てられないから、
通常の親に教育をまかせているわけにはいかない、
そんなネガティブなところから『エミール』を書き、
教育制度を考えたんだから。
・・・だから、表現は、すごくネガティブなものから
はじまっていると思うんですよ。
それを、テロリズムと言ってしまうと
かっこいいというか『狙った』感じにはなるけど、
きっと、クリエイティブは、そういうものだよね。
藤:なるほど。僕はテロリストか。
ぼくは、本来、表現をしないままでいながら、
『産んで、耕して、育てる』だけで死んでゆくのが、
人間として、一番上品な生き方ではないかと感じます。
・・・だけど、ぼく個人としては、それをできない。
産んで耕して育てるだけでは満足ができないぐらいの
傷を抱えてしまったり欲が深くなってしまったような、
そういう障害を抱えた人たちが、
表現というものを選んでしまうのだと思います
藤:うーん。僕は口下手で、うまく喋れないもどかしさっていうのが常にあります。とっさに言葉が出てこないから、僕の場合はとっさに笑うんです。
そのとっさに出す笑いのせいで、中学の頃のあだ名は「大仏」でした。何を言っても笑うから。
そのとっさに出した笑いで、今まで色々と誤解を生んできたりしました。
その辺が僕の傷かなあ。
もし僕が話がうまくて、しっかり人に伝えたい事が伝えられていたら、もの作りをしていなかったかもな。
もう一つ、クリエイティブについて僕が思うことは、発展途上国の低賃金労働者の上にあぐらをかいているのが日本のクリエイターなのかって事です。
僕らが食べる物や、日常で使う物は、発展途上国で安く作らせておいて、自分たちは自分の傷を癒すために、何の役にも立たないモノを生み出しているんじゃないか。
そんな不吉な言葉を残しつつ、僕のクリエイティブ孝をひとまず終わらせます。みんなが考えているクリエイティブも教えてください。